そんな年末。
2008.12.30 Tuesday | category:-
Coccoを知ったのは小学生の時で、
失望や怒り、悲しみ、裏切り、恐怖、
人間の陰の部分を歌った彼女の言葉に感動した。
そして美しいと思った。
誰しもがもっている感情だと思った。
だから美しいと思った。
もっとも人間らしいと感じた。
彼女って、今は昔と全然違う気がする。
変われるものなのかな。
失望は希望になるのかな。
悲しみもいつか消えて、喜びになるのかな。
わからないよ。
***
自分には何があるんだろう
自分に何をいう資格も無いのかなと
自分には、耳を傾けてくれる人なんて居ないのかなと
思う。
悲痛の叫びを、素直な気持ちを、ずっと思ってたことを言ったところで、
逆に責められて
言うべきじゃなかったのかと自分を責める。
喜んでくれるかなぁと、時間をかけて選んだ花は
ただのご機嫌取りだと言われた。
「何を考えとるんだろうねと思ったよ」
そういう何気ない言葉がどんどん私をえぐっていった。
「大学に行ってない」タブーを言った私に対して
その何十倍もの傷つく言葉や
今までのその言葉が蘇って
内臓がえぐられる思いがした。
目からは、汚れた水がとめどなく溢れて
知らず知らず、自分を守ろうと、生理作用が働いている。
こんな状態でも、自分は自分を守ろうと必死になっている。
内臓が疼く。
何のために育ててきたのかね
あんたが自立したら謝ってやろうかね
今まで何も言わんかったやん
あんた冗談通じんけねぇ
何を叫んでも、彼女はそういう言葉を言っていた。
一番、応援して欲しいひとは
一番遠い人に見えた。
このひとは何のために私を産んだんだろう。
今更、私はわからない。
でも生きてる。
私は生きている。
たくさんの人が、私を生かさせている。
****
きっと、誰しもが心の中で誰かを消去する。
きっと、誰しもが心の中で嫌なことを消去する。
我慢すれば良いと思う。
押さえ込む
そして、自分を殺していく。
自分が存在すること自体分からなくなっていく。
苦しいと思ってることを素直に吐き出しても、
それが解決策じゃないことを知る。
苦しみは、喜びの始まり
ピンチはチャンスで
失望は希望の兆し
反意語は、いつだって背中合わせに存在する。
そう思って生きてきた。
そうやってプラスに考えて、苦しいことがあっても、きっと良いことがあると。
でも、もうそれも出来そうに無い。
今の私には、出来る気がしない。
2009年が心配でたまらない。
光が見えてこないから・・・
どうしてこうなったんだろう
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